好きな人、嫌いな人って?

一番進んでいるクラスのブートキャンプがあり、いよいよ、陰占法に差し掛かります。

 

陰占法は、陽占法とは別物という認識をされていることも多いようですが、陰占法のみを使うのではなく、陽占法と組み合わせて使うことではじめて、運命の考察ができるようになります。
なので、効率の良さを重視しているさる山さる子のカリキュラムでは、最初に基礎理論を学び、次に地法を学び、次に陽占法を学び、その後で陰占法を学ぶことになります。

そして、陰占法が終わると、天冲殺論の講義が始まります。

今回、陰占法ブートの案内文やレジュメを作ろうと思って、隊長の書いた原稿を読んでいて、最初の方に、こういう内容を見つけました。(隊長の文章なので、そのまま記載します。)

 

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算命学では、現実の世界において、人間同士が連帯(融合)する際は、霊魂の世界においても、連帯(融合)すると、人間の心は満足を感じる事になり、逆に、現実の世界において、人間関係が敵対関係、或いは、疎となる際は、霊魂の世界においても、相反する、或いは、通じ合うものが無い方が、人間の心は満足を感じる事になると考えている。

例えば、親子関係、兄弟関係、夫婦関係があるという事は、有形・現実的な連帯(融合関係)があると言える。この場合、霊魂の世界(精神的な世界)においても、相通じるもの(融合関係)があれば、人間の心は満足を感じる事になる。しかし、現実の世界においては、親子関係、兄弟関係、夫婦関係があるにも拘わらず、霊魂の世界においては、相反する、或いは、全く相通じるものが無いという場合は、人間の心は不満を感じる事になる。

これは、器(形、有形・現実の世界)と中身(気、無形・霊魂の世界)が一致していれば幸運・満足、いなければ不運・不満を感じる事になるという事である。

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関わりのある人と、通じるものがあれば、満足(幸せ)を感じ、通じなければ不満(不運)を感じる。
反対に、敵対関係の人とは通じるものがない方が満足。

まぁ、そう考えれば、分かりあえる部分のある人(似たもの同士)の方が、縁ができやすい(好きになりやすい)ということです。

一方、こんなことも言っています。(こっちは陰占法ではなく、もっとずっと先に学ぶ内容)

 
 

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わかり合えるものがあり過ぎる場合、思考が硬直化し、又、その人間関係のみに拘泥し、新しい人間関係や物事を求める事が無くなり、発展性が失われる場合がある。

故に、算命学では、兄弟姉妹間においては、共通干支を持ち過ぎない事が望ましいと考えている。又、算命学では、この様な考え方を応用し、小さな会社にあっては、社長と共通干支を持たない者を入れて新たな事業を興し、それがある程度上手くいった後は、社長と共通干支を所有する者に、その事業を維持させる事が望ましいと考えている。

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確かに、自分と似た人ばかりが周りにいると、これでいいんだと思って変わろうとしなくなります。

学校のグループでも、だいたい似たところのある人が、グループを作りますよね。

 

また、隊長と私はホントに分かり合える部分がなく、一緒にいるのはしんどいことも多いですが、そのおかげで自分と違う意見が出てくるので、会社が小さくて試行錯誤が必要なうちは、まぁ、この組み合わせゆえに発展していくのだろうと思うのです。

 

ということを、ちょうど会社の人間関係について興味深く眺めていた友人に話したら、

「好きな人とか嫌いな人って、自分が気づかないで出来ちゃうんじゃないかなぁ」とか思ってたけど、この算命学でいうところの自分と同じ部分を持つ人を好きになる傾向があるってことがわかってれば、「自分と似たところがあるな。」とだけ認識することが出来るのかなぁと思ったよ。

という返事がきました。

 

確かに、好きな人、嫌いな人って感情をくっつけなければ、ただの『自分と似ている人』ですよね。

そして、人を自然と好きになったときは、その人は自分と似ているところがある人なのだと判断できるし、その好きになった部分が自分にもあると思えばいいわけです。

 

そして、何か嫌いと思う人は、似ているものがない人。
悪い人とかイヤな人ではなくて、単に似ていない人です。

 

自分と似ていないだけの理由で、いちいち嫌っていたら、その人の良いところを採用できなくて、もったいないですよね。

人は感情を先に動かして、それに従って行動しがちですが、感情と物事を分けて見られるようになったら、物事はいろいろ上手く進むんじゃなかろうかと思うんですよ。

 
 

2019年11月11日

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