器用な人の悲劇
比較的器用で、必要だと思ったことは何でも自分でやってしまうタイプの人は、人から簡単に仕事を押しつけられるということがよくあると思う。
あの人に任せておけば、なんとかうまいことしてくれるだろうという感じで、面倒な作業を押しつけるのである。
誰しも、面倒な作業からは離れておきたい。
口は出したいが、手は出したくないというのが大部分の人ではないかと思う。
でも、誰かがやらないと物事は進まない。
やりたくない気持ちは分かるが、自分がやらなければ、誰かがそれを被るだけだ。
やった人にしか分からない
実作業というのは、存外大変だ。
メインでやることのみでなく、それにまつわる調整や、細かく考えねばならないことが、それにくっついてくる。
作業量の多さの割に、報われない。
傍からは、メインでやることのみしか見えず、目に見えない細かなことや調整をやっていることにまで、考えが至らない。
それが分かるのは、そういうことを何度もやったことがある人のみだ。
行動したくなく、常に面倒な作業を人に押しつけてきた人には、想像すらできない。
しかし、物事というのは、実行しないと進んで行かない。
アイデアはアイデアで素晴らしいのだが、それを実現させるには実行が伴い、実行にはメインの作業のみでなく、様々な周辺の作業が無数にある。
その、メイン以外の周辺作業まで、ちゃんと気付いてこなせる人が、仕事ができる人として評価され、重宝されるのだと思うが、たとえ評価されようが大変なことに変わりはない。
やればやった分だけ力は付くが・・・
私は結構、面倒な作業を被りがちだ。
決してやりたくはないのだが、誰かがやらなければならないことだと分かっているし、気付いてしまう。
なので、以前から、みんながやりたくない面倒な作業を担当することが多かった。
それでプロデュース力が身に付いたと思う。
口は出すけど自分で行動しない人は、実行にまつわる大変さに気づきもしないし、気付かないから感謝もしないし、それがうまく行ったときには、『自分のアイデア』として手柄を自分のものにするのが常だ。
どんどん仕事が増えてアップアップになったあげくにそうなるので、以前、『言い出しっぺには自分でやらせる』というのを徹底したことがある。
すると、口だけ出す人はいなくなるものの、改善案もなかなか出てこなくなって、痛し痒しだった。
そんなわけで、結局、そういうみんなが嫌がるような仕事も、全体のためと自分のスキルを上げるためにやろうって、割り切るようにした。
やればやるほど、できることは広がるし、気付けるようにもなる。
今も、押しつけられたあげくに手柄を自分のものにされたり、気付かれもしなければ、なんだか割り切れないモヤモヤ感は、そりゃあある。
でも、分かる人には分かる。
分かる人がひとりでもいると、いざというときにフォローしてもらえるのでかなり違うが、そういうのが分かる人は、自分から実行する人なので、同じようにかなりの作業量を背負っていることがほとんどだ。
長々書いたが、何が言いたいかというと、
人に押しつけずに、自分のことくらいは、
自分でやれ
やらないと、いつまでたっても気づけるようにならないし、人がやってくれることに気づきもしない人のためにやりたいとは誰も思わないんじゃないかね。
2019年11月16日