集団の中にいると、話し好きな人もいれば、聞き役の人もいます。
話し好きな人は、たいがい声も大きかったり、自分の話を聞かせるタイミングを心得ていたりして、自然に話す機会が多くなります。
聞き役の人は、基本的に声もあまり大きくない場合が多く、あいづちはうまいものの、自分の発言はタイミングを外したりします。
そんな中にいると、話し好きの人の言葉が多く入って来ますし、話し方も上手くて堂々としていたりもするので、つい意見を採用したくなります。
しかし、話し好きの人の言葉をよく聞いていると、あまり分かっていないのに、どうしてこんなに自信満々に大きな声で発言できるんだろうと不思議に思うことも多くあります。
そして、聞き役の人は、話さないからと言って別に何も考えていないというわけではなく、みんなの話をよく聞いているからこそ、大事なポイントを分かっているという場合があります。
でも、大きな声に気を取られて、せっかくの良い意見を、聞き逃してしまうことも、多々あります。
※必ずしも全部が全部、そうだと言っているわけではありません。
そういう場合もあるという話をしています。
頭の中のおしゃべり
さて、何が言いたくてこういう前振りをしているかというと、この、集団でのこういう会話の感じが、頭の中のおしゃべりとよく似ているということです。
観念があると、頭は勝手におしゃべりをします。
どうして観念があると頭がおしゃべりになるかというと、主に自分に言い訳をしたくなるからです。
観念ゆえに、思いと行動に整合性がなくなり、そこを埋めるために、頭があれこれ考えるのです。

不自然なのは自分の持つ観念なのですが、自分は正しいと思いたいわけですから、他人や環境を責めるという形で、言い訳したりします。
そういう、頭が勝手に考えるあれこれは、声がとても大きいのです。
そんな中に混じって、自分の本質も、時々発言をしています。
本質からの声も、思考という形で受け取るのですが、その声はとても小さいです。
なので、頭が大きな声でおしゃべりをし続けていると、その小さな声の存在に気付くことができなかったり、気付いてもあまり気に留めなかったりします。
そんな風に、自分の本質が発する声を、私たちは無視して生活していることが多いです。
でも、それって、もったいないんです。
なぜなら、自分の本質って、実は自分より遥かにいろいろなことを知っているし、あらゆるところとリンクしているからです。
自分一人が生まれてから経験したり勉強した中だけでは、得られることができない情報をくれたり、こういう時はこうするといいというアドバイスをくれたり、今の自分が気付くと生きやすくなる考え方のヒントをくれたりするのです。
自分の本質からの声は、特別なことではなく、頭さえ静かにできれば、誰でも普通に受け取れます。
ただ、受け取れたからと言っても、行動するのは自分なので、言われたことを実行できなければ、受け取っても意味がないんですけどね。
関連記事 : 『メッセージについて 』
2015年11月03日